
■ はじめに──日常に現れた異界の気配、その一瞬を捉えた映像
2023年10月8日、アメリカ・コロラド州。観光客に人気の「デュランゴ&シルバートン狭軌鉄道」に揺られていた乗客が、車窓の向こうに異様な光景を目撃した。それは山の斜面をのそのそと歩く、毛むくじゃらの巨大な生物。
誰もが思った──「まさか、ビッグフット?」
夫妻によって撮影された短い動画は、瞬く間にSNSで拡散。650万回以上再生され、「UMA界に新たな伝説が刻まれた」とさえ囁かれている。
だが、この出来事は本当に“ただの騒動”だったのか?
■ 動画に映った“存在”──見過ごせない動作のリアリティ
映像に映し出されたのは、斜面をゆっくりと歩く巨大な影。その動作は不自然どころか、あまりにも自然だった。
- 肩から腰にかけての可動が滑らかで筋肉の動きを想起させる
- 膝まで届く長い腕が、左右にスイングする様子が異様にリアル
- 足運びのリズムに“重み”があり、着ぐるみの人間では再現が困難
- 途中でしゃがみ込み、周囲を確認するような仕草
その全てが、「演技ではなく生理的な動作」に見える。映像をコマ送りで確認した人々からは「フェイクなら相当な完成度」「CGでは説明がつかない」との声も多い。
■ 現場の地形が語る“異常性”──人が入り込めない場所での出現
動画が撮影された熊の谷は、コロラド州でも特に険しい山岳エリア。列車からしか確認できないこの斜面に“誰かが”仕掛けたとするなら、極めて困難な計画になる。
- 徒歩でアクセスするには川を遡行し、さらに垂直に近い斜面を登る必要あり
- 登場のタイミングを列車通過とピタリ合わせる必要がある
- そもそも乗客のほとんどは目撃すらしていない
つまり、もし演出だったとしたら「誰の目にも止まらない可能性が高い」過酷な一発勝負だったことになる。そんなことを、果たして誰が、なぜするのか?
■ その瞬間、車内で何が起きていたのか──目撃証言から浮かび上がる“現実味”
パーカー夫妻がスマートフォンを構えたとき、車内ではほとんどの乗客が風景に目を向けていなかったという。しかし、数人の目撃者は“それ”を見ていた。
「あれは熊じゃない。立ち上がってた。歩き方もまるで違った」 ──40代男性 乗客
「車掌さんが“これ前にも見た”って言った時、本当に背筋がゾッとした」 ──30代女性 乗客
「娘が“おっきいのいる”って言って、見たら…あれだった」 ──親子連れの母親
特に注目すべきは車掌の証言。「以前も同じ場所で似た影を見た」というその言葉は、今回の出来事が偶然でない可能性を示唆している。
■ UMA多発地帯・コロラド──目撃された場所の特異性
コロラド州のサンファン山脈周辺では、過去数十年にわたりビッグフット型UMAの目撃が相次いでいる。特に未開発の山林地帯や峡谷では、次のような報告が存在する:
- 1994年:山道で猿に似た影を見たとの報告
- 2002年:テント周辺に人型の足跡が出現、同時に叫び声のような音が確認された
- 2011年:今回と同じ鉄道沿線で「斜面をのぼる人型の何か」を複数人が目撃
これらの事例は決して広く報道されてはいないが、地元では“知る人ぞ知る話”として語り継がれている。
■ 映像が呼び起こした論争──SNS上で交錯する意見と検証
SNSに投稿された動画は、拡散直後から論争を巻き起こした。
肯定派:
- 「明らかに人間の動きじゃない」
- 「自然との整合性が取れすぎていて怖い」
- 「パターソン・ギムリンフィルムと同等の価値がある」
懐疑派:
- 「これはギリースーツだ」
- 「投稿主が仕組んだ演出」
- 「なぜ列車の他の乗客はもっと騒いでいないのか?」
この映像は、単なる好奇心ではなく「真剣な検証対象」として扱われつつある。AI解析や3Dモーション分析を行うYouTuberも現れ、「身体構造が人間と異なる」という報告も出てきている。
■ 世界に存在する類似事例──未確認生物の共通性
世界中には、ビッグフットと類似したUMAが存在する。
- カナダ:サスカッチ(Sasquatch)
- ネパール:イエティ(Yeti)
- 中国:野人(Yeren)
- ロシア:アルマス(Almas)
これらの存在に共通するのは、いずれも“人間に似て非なる存在”であり、山林地帯や寒冷地に棲息するという点。特に、出現場所がアクセス困難な自然地帯であることが多く、コロラドの今回のケースと酷似している。
■ 結論──これは幻想か、それとも真実か
今回のコロラドでの出来事は、映像・証言・地理・既存の報告のすべてが奇妙なほどに噛み合っている。
- 偶然としては出来すぎている登場タイミング
- 単なる仮装では説明できない動作と体型
- 映像だけでなく、現地の証言と過去の目撃例との一致
それは単なる“夢物語”ではなく、いま、現実に起こっている“未確認の現象”かもしれない。
かつて神話とされたものが、カメラによって証明される時代に──私たちはその最前線に立っているのかもしれない。